【やが君】続・続・選択問題−三択問題篇②−
前前前回から続いてます。
※ネタバレ注意※
2.「少女」は事故前、本当にそれぞれ違う顔を演じていたのか?
「それを言っちゃあ、おしめぇよ」となりそうだが、そもそもなぜ3つの少女像はバラバラなのか?
この生徒会劇のプロット自体、どこか思考実験めいていて、その前提となる少女像の不一致の原因はあまり重視されておらず、むしろ少女の事故後の身の振り方が主題となっている。そりゃそうだ。過去のことはどうしようもない。でもこの疑問についてつらつらと夜な夜な考えたので、書く。
生徒会劇中、少女は自身が聞かされた3つの少女像を「仮面」と呼んだ。ある意味この言葉には、「3つが不一致であること」への違和感の他に、3つのそれぞれに対しての違和感も込められているのではないか。
3つのうちどれか一つに「本当の私」が混ざっていたなら話はまた別だろう。あるいは、聞かされた少女像が2つまでだったら?一瞬で均衡は崩れる。だが、事故後の少女にとっては、聞かされた3つの少女像は平等に「私らしく」ない。少女は、事故前の「本当の私」とは一人でいたときにに現れていた人格だ、とする。しかしその記録はほとんど残っていない。
なぜ「私らしくない」と感じられるのか?それは、生徒会劇中の独白シーン(ややこしいな)に注目すると見えてくる。
独白中、事故前の少女を語る3人はそれぞれ、「僕/私しか知らないあなた」こそが本物だと主張する。一方の少女は、それぞれについて演技であったかもしれない可能性と、「今の自分」が考えるその演技の動機をすらすらと並べている。
この不一致の理由は簡単だ。
誰も、「演じられている」と思いたくないからだ。「私しか知らないあなた」に優越感を感じたい。その順位をつけるのは?
「本音」かどうかだ。
しか~し、人の本心なんてモノ、そう簡単には見つからないってことを我々ヒューマンはよ~く知ってる。
じゃあ「本当のあなた」をあぶり出せるときってどんなとき?
筆者の超乏しい人間関係の経験をもとに考えると一つ、「修羅場」というのが思いつく。
「ジョン!誰よその女!」
「…っいや!待ってくれキャシー!これには訳があって–––」
「出て行って!今すぐここから、で・て・い・っ・て!」
「…?僕がか?それとも、ヘレナが?」
「ちょっとジョン、あなたキャシーとは別れたって…」
「選んで!そのアバ×レを放り出すか、あんたが出て行くか!」
「僕は!キャシー!君がやっぱり–––」
以上は筆者がアメリカのスパイ学校に留学していた時の一幕だが(大嘘)、
こうとまではいかなくても、もし仮に生徒会劇中で3人が一堂に会していたらどうなってしまっていただろう。う~ん、ワクワクする。
記憶喪失の少女、そのベッドを囲み、それぞれの「僕/私しか知らない少女」を口々に主張する3人の見舞客。私情しかない空間。
佐伯先輩、果物ナイフを人に向けてはいけませんよ。
あるいはそのための記憶喪失、という面もあるかもしれない。
事故前の少女は割とシームレスに3つの顔を演じ分けていたのかもしれない。そして記憶喪失によって「事故前の私」から「事故後の私」へと分離した。このことによって初めて、事故後の少女がその3方向の分裂を俯瞰し、それに気付けた、とも考えられる。
ここでもポイントになるのは、どうやら3人の見舞客は互いに面識がなく、少女像の共有もきちんとはされていないということだろう。3つともしっかりと知っているのは少女本人だけだ。
そんな状況で少女にどれか選ばせるのもあまりに酷な話だ。その反面、意地の悪い言い方だが、少女は「記憶喪失を活かした」別の選択肢を手にしている。
少女「どれが本当か選ばなきゃいけない 私は誰かに...ならなくちゃ...」
普通、「本当」は選ぶものではない。本当だから本当なんだろう。偽物のダイヤモンドを本物だと言い張っていたらほんとに硬くなってきた、なんてことはありえない。
しかし、この状況で、「人の本心」ならそれは可能ではないか?
3つの仮面から、これが私の本音でした、3人の中から、私はあなたにだけは本心で接してました、と選ぶ。それが本当かは本人にもわからない。が、逆にわからないからこそ否定もできない。
当然、そう簡単に選べるものではない。ポケモンの最初の一体を選ぶのとはわけが違う。
で、結局演じてたの?演じてなかったの?ということだが、それはぶっちゃけ筆者にも少女にもわからん。少女自身は、3つともなんか芝居くさくね?とは思っているが。ていうかこよみ先生と直にお話ししたい。
観客にこの疑問を覚えさせること自体、こよみ先生の狙いなのかも。
改変前でも、改変後でも、少女は以前と同じように3人にはそれぞれ別々の態度で接する、ということは選ばない。
改変前の少女が選びたかったのはあくまでたった一つの「誰かに通用する、新しい本当の私」だ。その選択はつまり、「これからどの人格を演じていくか」ってことなんじゃないですか?そうよ。
そして演技というのは、観客あってのものだ。真に孤独だったら、演技する必要なんてなくない?見せる相手もいないのだから。
っつーことを弟くんは考えたのかも。さすが槙くん。演劇オタク。
3.「少女」の3つの人物像は語り手の都合で歪められているのではないか?
若干蛇足。この可能性を考慮に入れると、生徒会劇がライアーゲーム的な様相を呈してしまう。だとしたら見舞客が相当な畜生になる。記憶喪失から目覚めた黒髪ロングの美少女に、それぞれに都合よく歪めた「あなた」を語りかけていく3人の見舞客......。
普通にこれだけで映画一本作れるだろ。
しかし語り手の願望が入っている側面は、実際ある。
「私/僕の知っているあなた」であってほしい。それで良好な関係が(3人中2人は)築けていたのだから。君はそのままでいてね....
あれ、じゃんけんの話はどうなったの?
ここで今さらじゃんけんと『やが君』全体の内容を符合させてみる。途中で織り込んでいけたらカッコよかったんだけど。
まず、なぜじゃんけんが出てくるのかというと、それは燈子と澪の最期のやりとりであり、しかも燈子にトラウマを残しているからだ。
あのとき、あいこになっていれば、燈子が負けていれば、あるいは七海母が夕食のメニューを鯖の煮付けから、チーズINハンバーグ〜フライドポテトを添えて〜に変更していたら....
まずざっくりと。
3人で行うじゃんけんの あいこ
→「一致による均衡」
→ 3つの人格の一致/3つの人格が同一であること
3人で行うじゃんけんの あいこ
→「完全な不一致による均衡」
→ 3つの人格の不一致
2人で行うじゃんけんの あいこ
→「一致による均衡」
→「私の知るあなた」と「ほんとうの私」の一致
2人で行うじゃんけんの 勝敗
→「不一致による均衡の破れ」
→「私の知るあなた」vs「ほんとうの私」
or
「ほんとうの私」vs「あなたの望む私」
やべえ。頭ごちゃごちゃになってきた。あなたとか私とか誰やねんって感じでしょう。
そもそも筆者はなんでじゃんけんになぞらえてやが君を語ろうと思ったのか...?
このアイデアを考え出したときは確かにめちゃくちゃ合点がいっていたのだ。
まず燈子のクッソ七面倒臭いパーソナリティ。そしてそれをなんとかしようと、治療しようとする侑ナース。秘めたるクソデカ感情と格闘する佐伯先輩。
侑の加入でスタートした三角関係。そう。侑の役割はここにある。侑の参戦が沙弥香-燈子のじゃんけんを、均衡のあり方をガラリと変えた。そしてそこに絡む生徒会劇の3つの少女像......ん?
自分が
何を言って
いるのか
わからない
はい、8回裏3点リード、無死満塁、相手チームの4番打者を迎えます。ここで降板です。
次回で決着つける。かも。