『やが君』深読み書店

脳から産地直送・乱筆乱文 『やが君』の考察を中心に。

【やが君】続・続・選択問題−三択問題篇−

じゃんけん激弱の勝ち猫です。単行本待機勢です。今すでにかなりグラついてます。まだひと月以上あるぞ。踏切、俺を止めろ。

今回からタメ口で書こうと思います。(いきなり矛盾)

ですます調は自分の性に合わないって、分かりま...分かったのだったですわよ。

 

前回、前々回からの続き。
suiseinoaho.hateblo.jp

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※ネタバレ注意※

 

 

 

叶こよみ先生について

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思索に耽る叶こよみ氏(15) ©仲谷鳰

吹き荒れる百合情念の嵐の中心にデンと鎮座する、侑-燈子-沙弥香の歪な三角形。生半可な語彙力では到底その全てを形容できない、百合界のバミューダトライアングルだ。

そのかたわらで眠そうな目をこする可憐な黒髪の乙女こそ、叶こよみ、いや先生と呼ばせてください、叶こよみ先生である。

複雑な思惑が絡み合う三角関係を前に、筆者は持てる語彙の全てを捧げねばならないが、こよみ先生を見て口をつくのは「こよかわ」という愚にもつかない平凡な感想ばかりだ。

バカ野郎。イマドキそんなこと3歳児だって分かってるよ。

そらはあお、りんごはあかい。ピーマンは苦く、こよみはこよかわ。

 

もうはっきり零してしまおう。筆者は叶こよみ推しだ。叶こよみ先生が好「ばか」だ。かなり好「ばか」だ。

 

何よりカニより、これを書いているはてなブログでさえこよみ先生には一目置いているのだ。

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見てよこれ。

 

「可愛い」を嫌がるJK1...その存在は、にわかには信じがたい。水を求めぬ魚、あるいは侑を求めぬ燈子、ポテトを我慢できる佐伯先輩のようなものだ。信じられない。

 

こよみ先生、貴女は鏡をご覧になったことがないのですか?

 

やが君と「3」

なんか前回の終わりに?じゃんけんのあいこの話しとる。そうだった。

 

一応もっかい挙げとく。

 2人で行うじゃんけんの あいこ

→「一致による均衡」

3人で行うじゃんけんの あいこ

→「一致による均衡」or「完璧な不一致による均衡

 

筆者的にこれはかなり重要な性質だ。全体の解釈の中でこれとの符合が効いてくる。

まず前回まで扱ってきたのは、「二択問題」だった。ここから話は「三択問題」へと踏み込み、さらにはやが君の乗換駅、生徒会劇へと雪崩れ込んで行く。

 

「3」というのは、アニメ版やが君最終話でも、様々な小道具を使って強調されていた。この改変、ファインプレーだと思います。

とりあえずやが君作中で「3」といえば...

  • 侑-燈子-沙弥香の三角関係
  • 生徒会劇の3つの少女像
  • じゃんけん

が思いつく。あら。これも「3」つだ。まあこれは偶然だろうけど。

これらのテーマを絡めて論を進める...つもりだったんだけどなんかムズそうだな。

とりま生徒会劇脚本に関して、疑問を呈しておく。

 

こよみ先生からの挑戦状、生徒会劇

今更、生徒会劇のシナリオをまとめなおしておくことはないだろう。

こよみ先生の、侑のアホ毛よりも鋭い観察眼、洞察力が遺憾なく発揮された問題作、人のアイデンティティーの危うさを鮮やかに浮き彫りにs......

 

とりあえず筆者の疑問は...

  1. 「正解」とは何か?
  2. 「少女」は事故前、本当にそれぞれ違う顔を演じていたのか?
  3. 「少女」の3つの人物像は語り手の都合で歪められているのではないか?

 あら。これも3つ。まあこれは偶然じゃないんだけど。わざとなんだけど。

 

これらの問題点は、もちろんこよみ先生の狙いだろう。こういった疑問に頭をめぐらせさせられるということは、こよみ先生の手のひらで踊らされているという事だ。

こよかわ~!

 

もちろんそれは作中のキャラ達も例外ではない。演者の5人の解釈もなかなかピタリと一致しない。殊に侑-燈子-沙弥香に至っては、それぞれ3人の実際の立ち位置と劇中の立ち位置に微妙にズレがあり、また、多分に願望の混ざった解釈をするわけで...........あれ、佐伯先輩、どうしたんですか顔赤くして。

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 だからこの記事でブン投げ出したのだった。

 

そしてその願いの交錯を巻き起こしたのはこよみ先生の脚本(と侑の書き換え)。

うーん、嵐を呼ぶ女、叶こよみ。

 

1.「正解」とは何か?

正解があるなら不正解もあるだろう。◯❌がつく。明日にならなくても。

この言葉が出てくるのは、侑が自身の生徒会劇の解釈について、こよみ先生に語るシーンだ。3つの少女像のうち、一つが正解。残りの二つは不正解。

もちろん侑は、生徒会劇主人公に燈子をダブらせている。燈子も沙弥香も。

そんなことをつゆ知らずあのプロットをぶち上げてきたこよみ先生。

「...叶さんこわいなあ」

 

侑が正解・不正解という言葉を使ったのは、燈子を慮ってのことだ。侑は燈子を変えたい、という願いを生徒会劇の改変に仮託している。

それが一番の願いだ。短冊の余白は今埋められたのだ。

燈子は市ヶ谷くんから自分の知らない姉の姿を市ヶ谷さんから聞かされ、動揺しまくっている。それは、知らなかったこと自体がショックなのもあるだろうが、「脚本」澪に欠けていたページがあることが判明し「演じる」人生に支障が出るからでもあるだろう。

 

燈子「でもそれじゃ 私は誰を目指したらいいのかわからない」(6巻162P)

 

「誰」という言葉がひっかかる。燈子の頭の中には「私の知るお姉ちゃん」と「学校の人が知るお姉ちゃん」がパックリ2つに、「別人扱い」で分かれて存在している。しかも新たに知ったお姉ちゃん像は自分が演じてきた完璧超人とは程遠い存在だ。完璧ほど脆いものはない。小さな傷一つで簡単に損なうことができる。

沙弥香も侑も「まぁ人間そんなもんじゃん?(意訳)」とたしなめているが、燈子としては「じゃあ両方正解にしてあげる❤︎」なんてことは到底できない。

 

それは彼女が自身を、「演じること」に強く縛り付けているからだ。

そして、実は何が彼女を苦しめているのかというと、誤解を恐れずに言えば、「脚本・澪」の出来の悪さだと思う。いまさら市ヶ谷くん由来の新しい描写が追加されているのもそうだし、そもそも「なんでも完璧にこなせて」「みんながお姉ちゃんのこと大好きだった」、という断片的でぼんやりした記述しかない。

そうなってしまったのは、幼少期の周囲からの圧力、「あれで案外妹の前じゃ見栄張ってたのかな」による情報不足のためだ。

そして何より、「脚本・澪」には一番大事な要素が欠けている。

「変化」だ。

物語とは変化そのものだろう。それが燈子の澪像には欠けていて、それはもちろん澪がもうこの世の人ではないからだ。燈子は時間的にも、知識的にも制限されたスナップショットのような澪像に固執し、自分を縛り付け、常に完璧であり続けてきた。

 

あ〜〜読み返すと燈子の背負う業、深すぎ問題....しかもこれといって悪者がいない...

 

 

あれ、つうかこれめっちゃ脱線してない?

 

 ヤバい...こんなときはとりあえず......こ、こよかわ~!

 

よし。

言ってしまうと、侑はまず「人物像」に「正解」「不正解」があること自体に疑問を覚えているのだろう。これまでの選択問題でも述べてきたが、侑は懐が深く、多くの選択肢を持ち、〈多様性〉を志向できる。だからこそ優柔不断でもあるんだろうけど...

一方の燈子は完璧な姉の姿だけを、一途にひたすらに演じてきた。とにかく一本道を突っ走ってきた。そのひたむきさがリレーのシーンで現れたからこ、侑もriseしたのだし、沙弥香もその努力する姿に惚れてるんだな......

しかしその一本道はやはり苦しかった。一本だから苦しいのでもあった。「澪」という止まっていた脚本をなぞって生きていた。

そんな燈子の前に現れたのが侑王子だった。三角形の3つの頂点が揃った瞬間である。

 

 

思ったより文字数を食ってしまった。タメ口の文ってなんか偉そう。何様だよコイツ。

 

今日は以上!次回に続く!